名古屋 結婚式

しっかり者の彼女の涙を初めて見た結婚式

僕と彼女は身長差が35cmという凸凹カップルです。僕は営業で彼女はその補佐をしてくれる営業事務という関係でした。小柄で華奢な彼女は、しかし、とてもしっかりとした性格で僕はいつも背を丸めて彼女にお説教されていました。やがて僕の異動が決まり、うちの部署の名物と言われていた彼女とのコンビも解消ということになった時、このまま距離が出来るのは嫌だったので、思いきって告白しました。彼女は首を傾げてきょとんとしていました。

つきあい初めてわかったことは、気の強い彼女の内面が実は結構乙女チックだということでした。そして、それが人にばれることをすごく嫌がっているということも。2人で出掛けて街を歩くと、時々、目で追うのは洋服や宝石ではなくヌイグルミやお菓子です。欲しいのならプレゼントしようかと言うと頭を振って見ていただけと否定するので、クリスマスの時にこっそりとそのヌイグルミを買い、プレゼントして驚かせました。彼女は大人なのにヌイグルミなんてと言いつつしっかりと抱き締めていました。

つきあって1年後に結婚を決め、初めて彼女のお宅にお邪魔しました。行ってびっくり。男兄弟が多いとは聞いていましたが、兄一人、弟三人に挟まれた唯一の女の子だったのです。皆成人しているので家に残っていたのは大学生の末弟だけでしたが、彼に接する時の彼女の態度が僕に対するものとまったく同じだったのには笑えました。

厳格なお父さんとおおらかなお母さんに結婚させてくださいとお願いしました。お父さんは二人が決めたことなら、と頷き、お母さんは『気が強すぎる子だけど大丈夫?男ばかりのなかで揉まれてきたから』と心配そうでした。僕がぼんやりしているのでちょうどいいんです、と言うとおふたりはほっとした顔をしてくださいました。彼女は始終僕の横でムスっとしていました。

僕の両親は九州に住んでいるので彼女と旅行がてら里帰りしました。彼女のところと違い、笑い上戸のうちの父が『ノミの夫婦の逆やのう』とケタケタ笑うので、彼女がいたたまれないのではないかと気にしていたのですが、そこはさすがのしっかり者でした。両親や祖父母の前で手をつき挨拶する様子に祖母はすっかり彼女のことを気にいったようでした。ただ、母がぽつりと『きちんとしとるけど、愛想のない子やねえ』と後でつぶやいたのが気になると言えば気になりました。

結婚式の手配も彼女主導で色々と決まり、あっという間に当日となりました。白無垢をきた彼女と紋付きを着た僕とで神前式をし、その後、披露宴を行いました。そこで小さなサプライズがありました。お色直しで彼女が席をはずしている間に、母親が足元に置いていた紙袋からこっそりと何かを取り出して『これ、置いて』と押しつけてきたのです。それは可愛らしいウェディングドレスを着たウェルカムベアでした。手芸好きの母親の手作りに違いありません。

こういうのは普通、受付のところに置くんじゃないの、と聞いてみると、、母は、それはお嫁さんの為に作ってきたのだから、と言いました。お色直しをして拍手を浴びつつ戻ってきた彼女はヌイグルミを見て目を見開きました。母さんが君の為に作ったんだってさ、と言うとその目がみるみる潤み、せっかくメイクされた顔が真っ赤になっていきます。ありがとうございます、嬉しいです、とたどたどしくクマを手に彼女はお礼を言いました。つられたように母も涙ぐんでいました。僕が初めて見た彼女の泣き顔はとても可愛いものでした。

彼と友人が結婚式で贈ってくれた嬉しいサプライズ

夫との結婚が決まった時、ぜひ、式に御招待したいと思う方がいらっしゃいました。昔、イギリスに留学していた頃、とてもお世話になった下宿の奥様です。彼女は英国の貴婦人がそのまま良い感じでお歳を召されたという感じのとても素敵な人で、同じ女性として私の目標でもありました。だけど、結婚が決まる2ヶ月前に心臓の発作を起こして入院されたということをメールで知らされていたし、高齢の彼女に飛行機で遠い日本まで来て貰うのは無理だろうということであきらめていました。

来賓の方を決める時に夫にその話をすると、せめて俺たちの写真で作ったカードを贈ろうか、と慰めてくれました。夫とは同じ語学教室で出会いました。それも英会話のではなく、ドイツ語の教室です。家具と雑貨の輸入会社に勤めている私は留学経験のおかげで英語は操れたのですが、ドイツ語の方はいまいちでした。しかし、あるドイツの職人さんの家具に惚れこんでしまい、取引を成功させるために言葉を覚えなくては、とちょうど生徒を募集していたそこに申し込んでみたのです。

教室の初日、素敵な古民家風の御宅を訪ねてみて驚きました。生徒が私と彼ともう一人の計3人だけという有り様だったのです。でもそれがかえって良かったんだと思います。サンタクロースに似た風貌のお茶目なM先生と、三人の生徒のみのアットホームな教室はとても楽しくわきあいあいとしていて、そうしているうちに夫との交際もごく自然に始まっていました。

昼間に身内だけの式と披露宴を行って、夕方からは式場近くの小さなレストランを貸しきり、友人を集めて披露宴を兼ねたパーティーをしました。 パーティにはM先生と生徒仲間Oさんも御招待しました。司会進行の内容もイベントの演出もすべて友人と自分達とで考えた手作りのパーティです。式の時は白無垢でしたので、こちらではウェディングドレスとタキシード姿をお披露目しました。なごやかな会場で私に思わぬサプライズがもたらされたのは、夫がスピーチの為に立ち上がった時でした。

それまで、二人のプロフィールの映像を流していたスクリーンがふっと、真っ暗になりどうしたのかと思っていたら、マイクを持った夫がこちらを向いて『突然ですが、ここで新婦へのビデオメッセージを上映します。彼女が本当は会いたくてたまらなかったけれど事情があり残念ながらご出席いただけなかったイギリスのK婦人からのものです』と言ったのです。私は、ええっ、と花嫁らしからぬ声をあげて驚いてしまいました。

レストランの壁に備え付けられたスクリーンに写ったのはずいぶんと痩せてしまったけれど、変わらない優しい笑顔の奥様でした。『私の日本の娘、本当ならばその場であなたを抱き締めて祝福したかったわ』と、映像の彼女が語り始めた途端、涙が止まらなくなりました。全ては夫とM先生、Oさんが用意してくれたサプライズでした。先生のイギリス人のお友達が、奥様の息子さんと同じ大学だったそうです。そのツテでコンタクトを取り、このメッセージビデオを撮影してくれたのでした。

もう会えることはないかもしれない、とまで思っていた奥様との映像とはいえ予想外の再会への喜び、そして、それを用意してくれた友人と夫への感謝で胸がいっぱいになりました。いつか夫婦で英国へ訪れ、今度は奥様に結婚式の映像を見て欲しい、そして、最愛の優しい夫を紹介したい。それが今の私の夢です。

いい歳した二人だからと諦めていた結婚式だったけれど

母が亡くなったのは私が中三、弟が幼稚園の時でした。検査入院だと言って父の車に乗って笑顔で病院に向かったのに、そのまま2度と家には戻ってこなかったのです。子宮頸ガンでした。母がガンだと知らされたのは亡くなる1ヶ月前のことでしたので、悲しいというより呆然としてしまいました。お葬式が終ったあともまだ実感がわかず、とにかく、弟の世話をしなくちゃとそればかり考えていた気がします。

まだ人が死ぬということがよくわからないで母を捜して泣く弟を宥めつつ、父と協力して家事をしました。やれば上達するもので私は段々と家事が得意になっていきました。弟もやがて母のいない分甘えてくるようになり、私は十代なのにすっかり主婦と化していきました。高校を卒業して、進学も考えたのですがなるべく弟の近くにいようと家から近いパンの工場に就職しました。

朝、弟と父を送り出して仕事に行って、帰ったら夕食を作ってお洗濯をして……そんな生活を続けるうちに気づけば40代を迎えていました。弟も無事就職し手は離れていたのですが、今度はすっかり老いて弱ってしまった父を置いて嫁ぐことなんて考えられなかったのです。そんななかパン工場が経営不振で閉鎖されてしまいました。焦った私はとりあえずという感じで近所の弁当屋のパートとして雇って貰いました。そこで出会ったのが今の夫だったのです。

彼は弁当屋の次男でバツイチの45歳でした。仕事に慣れない私に親切に色々教えてくれて、ぶっきらぼうだけど優しい人だと感じました。朝早いシフトで二人きりで仕出しを詰めている時などにぽつりぽつりとお互いの境遇を話しました。彼の前の奥さんは恋人を作って出ていってしまったこと。12歳の息子さんがいること。私もまた母が早くに亡くなって必死に弟を育ててきたことを話しました。そうやって段々と気持ちが近づき、ある日彼におつきあいを、そしてその数ヵ月後に結婚を申し込まれたのです。

正直、悩みましたが、彼が私の父との同居も考えていてくれると知り、清水の舞台から飛び降りる気分でプロポーズを受けました。二人ともいい歳なので大仰な式はあげず両家の家族だけで食事会でもすればよいのでは、と思っていたら、彼は私は初婚なのだから結婚式をあげようと言ってくれました。こんなおばちゃんが打ち掛けやドレスなんて恥ずかしいと思って最初は断りました。でも父が『お前の花嫁姿を見たい、母さんもそう思ってる』と言うので、これまた思い切って式をあげることにしたのです。

結婚式では多くの人にお祝いをしてもらえました。弟が母の小さな写真をずっと持っていて『姉ちゃん、すごい綺麗だ、母ちゃんもそう言ってる』と言ってくれた時、今までのすべての苦労が報われた気がしました。泣く私の肩を抱きながら彼は『でも一番、●さんの花嫁姿見たかったのは俺だから』と笑いました。ぽっちゃりとしたおばちゃん丸出しの体型ですが、あの日の私は間違いなく世界で一番綺麗で幸せな花嫁でした。

食いしん坊の2人、式のお料理にはこだわりました

友達に誘われていった合コンの会場は、料理が美味しいことでその近所では有名なお店でした。食べるのことが大好きで栄養士と調理師の免許取得を目指していた私は、これも勉強と遠慮なくぱくぱく食べていたんですが、ふと、気づいたら周囲から生ぬるい視線を集めていました。男性陣の表情には呆れたような色があからさまに表れていて、内心やっちゃったと焦っていたその時、ただ1人『いっぱい食べるねえ、見てて気持ちが良いよ』と、笑いとばしてくれたのが彼でした。

メールアドレスを交換して何回かデートしたあと、私から告白してつきあい始めました。彼は私より年上の会社員。1人暮らしなので栄養がかたよらないようにってたびたび、料理を作りに行ったりお弁当を差し入れしたりしていました。彼もまた食べるのも料理を作るのも好きな人なので、お休みの日には自慢のパスタをごちそうしてくれました。私が専門学校を卒業して就職すると、なかなか休みが合わなくなってしまい、このままじゃあ擦れ違っちゃうと不安に思っていたら彼から結婚しようと言ってくれたんです。

こういう二人ですから、式場選びの時もまず一番重要視したのはお料理の美味しさでした。料理のお値段って予算のなかでも大きな割合を占めるんですよね。せっかくお祝いに来てくださるお客様の為にも料理はケチりたくなかったので頑張りました。メニューをコース料理のみにするか、それともコース料理に和食も幾品か加えたものにするか、デザートはどうするかなど、担当者さんと相談しつつ細かく決めていきました。

友達からは、ドレスとかイベントの演出とかじゃなくて料理にそこまで悩む結婚式って珍しいと笑われちゃいました。確かに、私のお色直しや色んなイベントもお客様は楽しんでくれると思う。だけど、色んな年齢の色んな人達が来てくださるからそのすべての皆さんに喜んで貰えるのはやっぱり美味しいお料理かな、っていうのが私と彼の考えだったんです。食いしん坊ゆえの発想かもしれませんけど。

そんななか始まった彼の友人のスピーチで『なぜ●君が●さんを選んだのかというと、初対面の時のその豪快な食べっぷりに惚れたそうです。自分より食べっぷりがよい人に出会えたのは初めてだったということでした。同時に、食べつつも周囲の人にさりげなくお皿を廻したり、飲み物の追加注文を取ってあげたりする気配りにも惚れたそうです』と言われて、驚きました。今まで私との結婚を決めた理由は『食べっぷり』だとしか言ってくれなかった彼がそんなことを思ってくれていたなんて、と涙が出ました。

式の終わりには皆さんにご挨拶しながら、少しずつですが私の手作りクッキーとマドレーヌをお配りしました。まだ五歳の従兄弟の娘ちゃんの番が来たので、思わず『楽しかった?』と聞いてみたら『ご飯、美味しかった!』と言ってくれました。周囲には笑いが起きましたけど私にとってはとても嬉しい言葉です。お祝いに来てくださった皆さんに少しでも楽しんでいただけたなら、それが私達二人にとって最高の結婚式ということでなのですから。

結婚式の日、私の緊張ををほぐしてくれたスタッフさんのひとこと

友人の紹介で出会った彼からプロポーズされた当時、私は保育士として勤続2年目を迎えていました。仕事にも慣れて子供達も懐いてくれて充実した日々をおくれていたのです。だから、まだ結婚はいいかなと思っていたのでその気持ちを正直に話して、もう少し待ってと彼に相談しました。だけど、それからすぐに、そんなことを言っていられなくなりました。お腹に彼との赤ちゃんを授かったんです。

病院にいって妊娠がわかった日は軽くパニックになりました。だって、それまで考えていた自分の人生のプランが大きく変わってくるからです。いつかは彼と結婚して園児たちのような可愛い子供のお母さんになりたいとは思っていたけれど、それは今じゃなくて、あと数年先のことだと思っていたんです。彼におそるおそる打ち明けてみたら一瞬は驚いたようでしたが、すぐに喜んで抱きしめてくれました。不安で一杯だった私の心はそれで少しだけ落ち着きました。

こうなったら少しでも早く結婚しよう、と彼が言ってくれたので二人で準備を進めました。式場は、以前からここで式をあげたいと言っていたホテルがあったのですぐにそこに申込みをしました。そこで私達の担当になってくださったのがNさんという可愛らしい女性でした。保育士という職業なのに実は人みしりの私ですが、Nさんとはどうしてなのか最初からすんなりと馴染めて、式のお話の他にも色んな愚痴まで聞いてもらっちゃていました。当時の私にとっては彼女の笑顔が救いだったんです。

結婚してからも仕事は続けるつもりでした。ぎりぎりまで勤めて、産休明けにはすぐに復帰したいと考えていました。ですが、困ったことに私の体調はにわかに悪化してしまったのです。しょっちゅう貧血を起こして倒れてしまい、とてもではないけど子供達の相手が出来なくなってしまいました。両親や彼からは仕事をやめるように説得されました。もちろん嫌でした。だけど、今のこの状態では園の先生方や子供達に迷惑をかけてしまうし、お腹の子にもよくないのはわかっていたので泣く泣く辞表を提出したのです。

そんなことがあって、式の間近だというのに私はひどいマリッジブルーになってしまいました。イライラして彼にもきつく当たりました。こちらは長年の夢だった仕事を子供のために諦めたのに、彼がそのことを全然思いやってくれていないように見えたのです。Nさんとの打ち合わせにも暗い表情で行っていました。きっとすごく話しにくかったと思うのにNさんは変わらず笑顔で接してくれました。

式の当日、控え室でNさんに今日までよく頑張られましたねと労られ、私はつい涙ぐんで良いお母さんになれる自信がないと漏らしてしまいました。すると、Nさんは優しく私の肩を撫でてこう言ってくれたのです。『大丈夫、あなたは良いお母さんになれます、そして、いつかまた仕事にも復帰できます。頑張り屋さんですもの。私は今まで何人も花嫁さんを見てきたからなんとなくわかるんですよ』と。それは落ち込む私を見かねての励ましだったのでしょう。ですが、これから先のことに緊張して強張っていた心がすっと楽になるのを感じました。

おかげで結婚式では、ごく自然に笑顔を浮かべることが出来ました。彼がそんな私の様子を見て、ようやく笑ってくれたと、とそっと囁いてきたので実はずっと心配してくれていたのだということがわかり申し訳なさと嬉しさで胸がいっぱいになりました。大丈夫、この人となら頑張っていけると思いました。両親や園の子供達や同僚の先生方、来てくださった全ての来賓の方々、そしてNさんへの感謝に今度は感動の涙が式の間中止まりませんでした。

気のおけない友達が人生の伴侶へと変わった結婚式

彼女と初めて出会ったのは高一の時です。ひとつ上の先輩で、同じ部活に入っていたので自然とよく話すようになっていました。とは言っても、当時、僕には他に好きな女子がいて恋愛対象という感じはまったくありませんでした。また、彼女の方も僕なんか眼中になく、同学年の部長に片思いをしていました。彼女はどちらかというと無口で感情が表に出ないタイプなのですが、僕から見たら表情の端々に彼への想いがにじんでいたので見ていて、じれったい、なんて思っていました。

だから、ある日部室で二人きりになった時に『部長のこと好きなんですか?』って聞いてみると彼女が可哀想なくらいうろたえたので、さすがに悪いことしたなと反省しました。でもそれ以来ぐっと二人の間は近づきました。どうせ知られてるからと彼女も気楽だったのかお互いに恋愛相談なんかをしていました。性別を越えた友達関係が出来ていたんです。だから、卒業前に彼女と部長がつきあうことになったと聞いた時は喜びました。『今まで色々相談にのってくれてありがとう』というお礼のメールまで貰いました。

それから僕も高校を卒業して、大学生、社会人となり、彼女とは音信不通になっていたんですが、ある日たまたま会った高校の同級生に驚く話を聞かされました。彼女と部長が婚約までしていたのに、何故か最近になって突然別れてしまったらしいということでした。僕は高校時代の彼女の寂しそうな顔が思い出されて無性に心配になりました。数ヵ月後、その情報を教えてくれた同級生の結婚式で偶然にも彼女に再会できた時には、迷わず声をかけていました。

久しぶりに会った彼女は綺麗になっていたけれど少し痩せていました。でも、話しかけてみたらあっという間に高校時代の二人に戻れたのです。それから、たびたび飲みにいくようになりました。ある日二人で飲んでいたら、酔った彼女が部長と別れた理由をふと口にしました。何でも、部長の勤め先である会社の、年下の子に取られてしまったんだとか。『私は可愛くないからなあ』と呟いた彼女に、『先輩は可愛いですよ、よかったらつきあってください』と、反射的に言ってしまいました。

彼女はなかなか僕をそういう目で見ることが出来なかったようで、しばらくはぎくしゃくとした関係が続きました。だけど、僕はもう彼女以外は考えられなくなっていました。高校時代の相手に感じていた燃えるような想いとは違うけれど、彼女とならずっと穏やかに楽しく生きていけると思ったのです。そんな気持ちが通じてようやく彼女が僕の恋人になってくれたのが告白してから2ヶ月後、結婚をOKしてくれたのは更に1年後のことでした。

お互いの家に挨拶に行くと、僕の両親は彼女のしっかりとした性格を気に入ったようで、頼りないお前にはちょうどいいねと笑っていました。彼女の方は、心に傷を負った娘のことを余程心配されていたのか、お母さんが僕の手を握って、この子のことをお願いねと涙ぐまれていました。結婚するというのは互いのご両親の想いを託されることでもあるのだと、背筋が伸びる気分でした。

結婚式は神前で行いました。その後の披露宴で高校時代の友人達が僕達の席のところまでやって来て『まさか、お前ら二人が結婚するなんて』と言うと、彼女が『私も実はずっと実感がなかったんだけど、今日初めて彼のことを私の夫なんだなあって感じた』とにっこりと笑って答えたのです。遅すぎる、と皆は爆笑していましたが、僕はとても嬉しかった。先輩後輩として出会い、長い間、気のおけない友達としてすごして、今、ようやく互いに唯一の伴侶となれたんだなあと幸せを噛み締めたのです。

私の弱さを受け入れてくれた彼の花嫁となれた日

中学時代、数人の男子生徒からいじめを受けた私は、それからずっとうつ病をわずらってきました。学校にも不登校が続き、なんとか合格した大学も中退してしまいました。このままじゃ駄目だ、強くならなきゃ、ちゃんとした人間にならなくては、と大学をやめたあと必死に仕事を探しました。ですが、大抵は面接で落とされてしまってなかなか決まらず困っていたところ、叔父の紹介のおかげでようやく小さな建築事務所に就職することが出来ました。

彼はその事務所の先輩でした。お茶くみと雑用から始めた私をなにくれとなく気遣ってくれる親切な人でした。1度、お客様の前で失敗してしまって、どうしようと給湯室で半泣きになっていると、ちょうど入ってきた彼がちょっと乱暴に背中を叩いて『気にするなよ』と笑ってくれたのです。おおらかで明るい、だけど人にちゃんと気を使うことが出来る人。憧れと恋心が混じったような気持ちを私はいつのまにか抱いていました。

だけど、彼には遠距離恋愛中の恋人がいました。私の恋は最初から実らないことが決まっていたのです。だけど、この気持ちだけでも知って欲しくてバレンタインにチョコレートを渡したり、クリスマスにはプレゼントを贈ったりしたのです。彼の方からもお返しを貰ったりして、それだけでもとても幸せでした。当時、うつ病もおさまっていて体調も良く毎日が充実していました。彼への恋が私を支えてくれていたんだと思います。

そんなある日、彼が恋人と別れたという話を聞きました。弱っている彼に対して無神経かもしれないと思いつつ、我慢できずに初めて口に出して告白をしました。きっと駄目だろうと覚悟していたのに、思いがけず彼は私を受け入れてくれました。交際期間1年を経て今度は彼の方からプロボーズをしてくれたのです。幸せの絶頂のはずだったのに、なざかその後、急に私のうつはひどくなってしまったのです。

うつがひどくなるとともに体調も崩れ、もともと結婚したらやめるつもりだった仕事を予定より早く退職しました。結婚式の準備も彼にばかり頼ってしまって、こんな私が本当に
結婚していいんだろうか、と毎日泣いていました。でも、彼は毎日仕事帰りに私の家によってくれて励ましてくれたのです。私の調子がよくなるまで、式を延期しようかという話もありましたが、うつで苦しくても少しでも早く彼のお嫁さんになりたかったので頑張りました。

結婚式の当日、両親へ『心も体も弱い私を育ててくれてありがとう。おかげでそんな私を受け入れてくれる彼に出会えました』とお礼を言いました。彼の方も『ワガママな僕ですが出来る限りの力で彼女と良い家庭を作っていきます』と挨拶してくれました。いじめられて、うつになって、正直なところ私なんて死んでしまってもいいんじゃないか、と何回も思いました。だけど、そんな私を愛してくれた彼の花嫁となれた結婚式を迎えて、久しぶりに生きてきてよかったと喜びの涙を流しました。

照れ屋な彼ががんばってウェディングドレスを選んでくれました

彼を私に紹介してくれたのは父親です。市役所勤めの父が部下の彼を見込んで私と引き合わせたのだそうです。とは言っても、わざわざお見合いの席をもうけてというわけではなく、父と私の趣味である海釣りに彼を誘ってという形でした。私は彼に対して無口で真面目な人だなあと感じると同時になぜか不思議な親しみを感じました。帰宅して父に『彼はどうだ』と聞かれて『良い人そうだよね』と答えました。

彼の方は私のことをどう思ったのかは聞かされませんでしたが、数日後、父から『二人ででかけてきなさい』とお小遣いを渡されました。こうして私達の交際は始まり、半年後には結婚することになったのです。彼は忙しい部署にいたので、結婚のために会社をやめていた私が主に式の手配に走りまわることになりました。

何でも私の好きにして良いと言われて最初は喜んだものの、準備の大変さに段々とストレスがたまっていきました。指輪を買う時はさすがに一緒に行ってくれたけれど、あとはすべて私任せなのです。いくら忙しいとはいえ、この人やる気がなさすぎるんじゃないの、とイライラしました。

それが爆発したのは衣装選びの時です。『君の好きなのを選べばいいよ。僕のはサイズさえ合えばいいから適当に決めておいてくれ』と言われて堪忍袋の尾が切れました。『一緒に選んでくれないんなら結婚するのやめるから』と言い切ってやると、彼は慌てた様子で一緒に行くと言ってくれました。それでも私のイライラはおさまらず、険悪な雰囲気で衣装選びに向かいました。

意地悪な気分になっていた私は、そこで『私のドレスはあなたが選んでよ』と言ってみました。当然、彼は困っていましたが知ったことではありません。その時、私の胸のなかには怒りとともに不安が膨らんでいたからです。彼が私との結婚を決めたのは上司である父に逆らえなかっただけじゃないの?だからこんなにやる気がないんじゃないの?そんな疑惑が次から次へとわいてきていました。

彼はきょときょととドレスを見比べていました。見かねたプランナーさんがアドバイスをして、最終的には候補は三つに絞られました。プランナーさんが勧めてくれたのは、私も内心気に入っていたショート丈の可愛い感じのものです。どうせ彼もプランナーさんの意見に同意するんだとうと思っていたら、『僕はあれが良いと思う、白い花がいっぱいついている』と横に並んだもう一着を指差して言ったのです。

彼が選んだドレスはエンパイアラインで胸元に白い小さな花がいくつも飾られているものでした。どうしてあれなの、と聞くと『君は白い花みたいだから』という驚きの返事が返ってきました。どんな顔でさっきの台詞を言ったのかしらと思わずまじまじと見たら、彼の顔は真っ赤で汗まで掻いています。現金なものでその瞬間、それまでのイライラが吹き飛んでいったのです。

彼の選んだドレスを着て迎えた式の当日、ハプニングが起こりました。披露宴の最後の挨拶で、まずは父が私たち新郎新婦への餞のスピーチをし、次に彼が来賓の皆さんにお礼を言う予定だったのに、緊張していた父が、なぜか来賓へのお礼の言葉をしゃべってしまったのです。横から見ていて彼の顔が青ざめていくのがわかりました。そして、自分の失敗に気づいた父の顔も同じようにひきつっていきました。

二人の表情はそっくりで、彼に初めて会った時に親しみを感じた理由はこれだったのだと思いました。真面目で無口で気の利かない不器用な、でもとても誠実な人。彼は父によく似ていたのです。冷や汗をかく二人の横で私は込み上げてくる笑いを隠す為にそっと顔をブーケで隠したのでした。

子供達の祝福に包まれた十年目の挙式

私たち夫婦が結婚したのは私が40歳、妻が35歳の時のことでした。妻と別れたあと11歳の息子の世話と独立したばかりの仕事との両立に右往左往していた私を見かねて叔母が世話をしてくれた見合いの相手が彼女だったのです。彼女は夫に先立たれて、今は12歳の娘と二人で頑張っているということでした。おとなしいけど芯は強い人だな、という印象を受け、何度か一緒に出かけたあと結婚を決めました。

お互いに再婚ということで式はあげず、入籍をすませた後、私たち夫婦と子供、そして互いの親とだけのささやかな会食をしました。新婚旅行なんてもちろん行きません。翌日から彼女と私は二人三脚で小さな事務所をまわしていったのです。子供たちを育てつつ仕事を軌道に乗せるためにそれこそ身を削るようにして働いているうちに月日はあっという間に流れていきました。仕事や家族間で大小様々な問題が起こりましたが、妻の支えのおかげで何とか乗り越えてこられたのです。

仕事面では安定した顧客を抱え、子供達も成人させることが出来て、ようやく息をついていた年の正月のことでした。家族でのんびりと見ていたテレビ番組で芸能人のハワイでの挙式のことを放送していたからでしょうか。大学の寮から帰って来ていた息子がふと、親父たちは何故結婚式をしなかったのかと聞いてきました。私は、再婚同士でお互い二度も式をする気はなかったからだと説明しました。すると娘の方が、でもママは1度も結婚式をしていないわ、とつぶやいたのです。

過去の結婚のことはお互いにあまり話したことはありませんでした。娘のつぶやきを発端に聞いてみると、初婚の時、妻も相手も金がなく入籍だけしたということでした。その話をした妻の顔が寂しげだったからでしょうか。気づけばぽろりと私の口から『じゃあ、今からでも式をあげようか』という台詞がこぼれていました。娘と息子は乗り気になってくれたのですが、肝心の妻が恥ずかしがってなかなか了承してはくれませんでしたが、可愛い子供二人の説得に最後には頷いてくれました。

私が自分らしくないことを言ってしまったのは、子供たちの母親として仕事のパートナーとしてよくやってきてくれた妻に女性としての幸せも感じてもらいたかったのかもしれません。どのようにな式をしたいか、と意見を聞いてみると、出来ればチャペルで、ということでしたので、チャペルのある式場に申込みをし、夫婦と子供たち、そして数人の友人を招いての式をあげました。

いでたちは2人ともスーツでしたが、息子が花嫁のブーケを用意してくれました。バイト代を奮発してプロの方にお願いしたとかで確かに立派なものでした。また、記念写真を撮る時に、娘がそっと差し出してきたものがありました。冠とレースのベールでした。裁縫が得意な友達と一緒に作ったのだそうです。薄桃色のスーツに白いベールをかぶった妻は少女のようにはにかんだ笑顔を浮かべていました。

10年目の遅れた式ではありましたが、妻との絆と子供達の成長を感じることの出来たすばらしいものでした。結婚式の写真は私たち家族が10年かけて築いた絆の証として大切に飾っています。

オタクな彼との結婚式はひと味違っていました

私が結婚しようと決めた人は、所謂『オタク』という人種でした。出会いは友達につきあって参加したある漫画のファンのオフ会です。その会の主催者が彼でした。彼の最初の印象は目が合わない人だな、嫌われてるのかなあ、というあまり良くないものでしたので、正直、その人とつきあって更に結婚まですることになるなんて、全然、想像もしていなかったのです。だけど、今まで出会った他の男性とは違う誠実さや優しさに、段々とこの人しかいない、という気持ちになっていき、私から告白して交際が始まりました。

少女漫画好きではあるものの、オタクという程のレベルではない私にとって彼とのおつきあいは驚きの連続でした。そしてそんな彼との結婚式はやはりひと味違っていたのです。まずひとつめの驚きは衣装でした。二人で衣装を選びに行った時、私はもともとこういうのが着たいというイメージがあったのですんなりと決まったのですが、彼はというと、何やら悩んでいる様子でした。どうかしたの、と聞いてみると言いにくそうに、タキシードじゃない着たい衣装があるんだけど、とぼそぼそと希望を口にしました。

服装に興味のない彼にしては珍しいことでした。もちろん、せっかくの結婚式なのですから彼にも楽しんで欲しい。だから、無理にタキシードじゃなくても好きなのを着ればいいじゃないと勧めました。その衣装の発注先が彼の友人なのは少し気になりましたけど、きっと洋裁士さんか何かなのねと気楽に考えていました。やがて、仕上がってきたのは、なんと軍服でした。もちろん、本物のではなくアニメのキャラクターの軍服です。彼の友人は趣味でコスプレイヤーの衣装を作っている人だったのでした。

もうひとつはBGMです。すべて彼にまかせていたのですが入場の時の曲が『飛べ!ガンダム』だったのにはぎょっとしました。他のもたぶん、私にはよくわからないのですが、アニメやゲームの曲だったようです。彼の友人席の人達が音楽が変わるたびに、盛り上がっていましたので。友人代表の方のスピーチでも、まさか、彼が生身の女性に興味を持つとはと仰った瞬間、謎の拍手が友人席から沸き起こりました。私はなんだかものすごい人と結婚しちゃったなーと笑っちゃいました。

披露宴も終わりに近づき、彼が来賓の方々に謝辞を披露する番となりました。軍服姿で、いつもは猫背の彼が一生懸命背筋を伸ばして話す姿はさすがに凛々しく見えました。皆さんをお見送りする時には彼のお友達から『こいつ、たぶん三次元の女で好きになるのは●さんだけだからどうか見捨てないでやってね』とか『どうか、こいつが集めたフィギュア捨てないでやってね』と、まじめな顔で彼のことを頼まれてしまい、これからの結婚生活は楽しいものになるだろうなあ、と思いつつも、ちょっぴり戦々恐々としている私なのでした。